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嵐の月

 

 

 あれは何の音?
 暗闇の森で、風が木々を揺らす音。

 

 兵隊に取られたのは、村の若者のほとんど全部だった。
 何でも遠い都では、大音声を用いて、離れたところにいる人を殺める不思議な道具が作られていて、長く続く戦いで、以前よりたくさんの兵が死ぬようになったそうだ。どうして音で人が死ぬのかは知らないが、前に水車番の爺さんが、雷の音で腰を抜かし、しばらく正気に戻らなかったのを見たことがあるから、似たようなものなのかも知れない。ともかくそのために、こんな田舎のちっぽけな村にも、徴兵請負人がやってきたのだ。
 彼らは聞いたこともない不思議な響きの言葉を操り、妙な秤で貨幣を量ってはわずかばかりの手当てを村に残して、かき集めた若者の腕に小さな入れ墨を入れると、一隊を率いて村を出ていった。
 それきり、誰も戻らない。
 もう二年も前の話だ。

 

 俺はもう十四だから王様たちがたくさんいる戦争に行っても、勇敢に戦えるとみんなに言うが、誰も取り合ってくれないし、かあちゃんなどは、俺がそういう度に本気で耳のところを殴る。その後は目の回りがいつもくらくらする。
 兵隊を集めに来たときには俺はまだちっぽけな子供だったし、ちびだったから、年を聞かれもしなかった。不公平だと思う。ラトルはたった十五で戦争に行ったのに。

 その人が来たのは嵐の晩で、俺はかあちゃんに言い付けられて薪を積んであるさしかけ小屋からずぶぬれになって薪の束を抱えて運んでいた。あんまり薪をぬらすと、いざくべたときにけむくなるので、かあちゃんはいつも不平を言う。そんなことなら自分でやればいいだろうといつも言いたくなるが、かあちゃんは左手がないので、薪の束はとても運べないし、うちに他に男手はないから我慢するんだ。

 その人は、真黒い大きな馬に乗っていて、物凄く背が高く、すっぽり黒いマントに頭から何からを包んでいたので、最初に稲光の下でその人を見たときには、これが話に聞く悪魔なのかと驚いて、仰向けにひっくり返りそうになってしまった。まじまじと見ても何者なのかは分からなかった。うちの村は街道筋からはだいぶ外れているし、よそ者がめったに来るようなところじゃない。よそ者なんて、徴兵請負人か、代官の役人か、物売りがとこせいぜいで、他に世の中にはどんな人がいるのか、ちっとも知らないんだからしようがない。

「小僧、どこかに宿はないか」

 靴は厳めしくて立派だし、マントからは重そうな剣が突き出してるしで、どう見てもえらくて勇猛な騎士といった見かけなのに、その話し方と言ったら、鼻に抜けるようなふにゃふにゃした声で、妙にゆっくりしていた。あとで商家の主人に聞いたら、あれが都風の話し方なんだそうだ。ちっともかっこよくなんかない。流しのへぼ詩人の語る物語の英雄の話し方の方がよっぽど勇ましいと俺が言うと、うちの村に来るような吟遊詩人はだいたい田舎ものだから仕様がないんだと言われた。
 それでもその言い方はえらく横柄で俺が答えなかったり知らんぷりをしたりするなんてこれっぽちも考えていなさそうだったので、きっとどこかの偉い人なんだろうと思った俺は、かあちゃんにお客を村長のとこに案内するからと叫んでから嵐の中に出ていった。
 それが運の尽きだったんだ。

 

 村長の家の狭い土間では、たまたま村のいろんな役の人達が集まって寄り合いをしていた。ずぶぬれだったので気付けにお茶の色だけついたお湯を一杯もらって隅っこの炉端に座り込んでいた俺は、内容はよく分からなかったけれど一部始終を聞いていたんだ。誰も俺のことなんか気にしやしないからね。
 俺が家の回りを歩いているのを見れば、鳥小屋だの畑だの果樹園だのになにかしら悪さをすると思って拳を振り回してみせるのが村長の趣味らしいが、そのときは俺のことなど気にならなかったらしい。

「騎士殿にお願いしたいのでござる」
 こんな変な言い回し聞いたこともない。しゃちほこばって村長が言ったんだ。
「わたくしは重要な旅の途中です。余裕があればお助けしたいが、それは無理というもの」
「しかし聞けばその目的の地はまだ定まっていないとか。それを待つこともまたお役目の一つなのでは」
 何のことはない、複雑な事情とやらは嫌がる若い騎士から無理矢理聞きだしたのだ。
「差し出口は好みません」
「どうしても村のものでは無理なのでござる」

 みんなで寄ってたかって慇懃無礼な騎士を攻め立て、最後には首を縦に振らせてしまった。何だか芝居を見ているみたいだった。芝居なんて一度しか見たことないけど。
 この騎士はたんにお人好しなのかも知れない。
 たった一人で、森に潜んだ強盗団を退治すると約束してしまったんだから。

 どうやって強盗団を退治したのかはまた別の機会にお話ししよう。別にもったいぶってるわけじゃない。俺も少しばかり手伝ったので、良心が痛むだけだ。ほとぼりが冷めるまでは、村の人の耳には入れたくない。騎士ってのは、物語の中みたいに、いつも正々堂々しているわけじゃないんだ。知らなかったよ。

 ついていこうとした俺を寄り合いの衆がみんなで止めようとしたのには、もちろん訳があったんだ。でもやめろと言われると余計にやりたくなるのが俺の性分だから仕方ない。
 騎士が村長の家に戻ってきて、証拠にと切り取ってきた首領の手首をみんなが並んだテーブルの上に抛り投げたときのことは、今でもときどき夢に見る。
 俺もその時までは知らなかったんだ。

 小さな灯りに照らされたのは、入れ墨と大きなほくろが甲にある人間の手首から先で、今にも動きだしそうだった。

 村長は、「ひっ」と声にならない声を出してひっくり返った。そりゃそうだ。それは村長自慢のどら息子のものだったんだから。

 

 それから俺がどうしたかって?
 しようがないから村を出たさ。寄り合い衆だって、奴らが隠していたことを知ってしまった俺のことは疎ましいだろうからね。
 俺には行くところがあるわけじゃなし、あのとき貧乏籤を引いた騎士殿を追っかけ回しているよ。なかなか楽しい人生さ。ただの騎士で終わらないのがこの騎士殿のよいところでね。ま、その話はやっぱり次の機会に譲ろう。

 ただ気になるのは村に置いてきたおふくろのことさ。
 そんなには心配してない。おふくろはめっぽう強くて、片手でもできないことなんてあまりなかったしね。
 ときどき思うことがある。おふくろの左手のないのは、もしかして、と。

 

(終わり) (改訂 98/02/01)
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