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子象の墓場 かたちにならない物語たち

 

 書きかけで、どうもきちんと書き終わりもしないかも知れない物語がたくさんあるのですが、眠りについてしまったものもあり。

 取りあえず、ここで人目にさらして、新しい光が見えてくるようであれば、作品として完成させる気になるかもしれません。

 作品の一部やシノプシス、創作メモなど、色々なレベルのかけらです。

 万が一、面白そうだ、とか、読んでみたいとか思っていただける話があったら、ぜひこっそり教えて下さい。


夜を切り裂く(仮題)

赤子のために(仮題)幼い母。乱世に生きる人々。

一億の砂(仮題)世間を何もかも知ったつもりで生きてはいけないのだと。

夜が明けるまで(仮題)生きて行く苦しみを誰が教えてくれたのか。

砂のしとね 星の天幕(仮題)HPよりこっちが古い(笑)

滅びの歌が聞こえる 足元が崩れてゆく恐怖。人はひとりでは生きられない。

恋文(仮題)どんなに言葉を連ねても、あなたの心には響かない。

天宮の音律 無限の調べは時空を揺るがすただひとつの力。

朱の末裔(仮題)一族を離れることなどできるわけがなかった。すべての血を流せというようなものだ。

荒野(仮題)あなたは軽やかに去ってゆく。わたしは鈍重にここに座り込む。

冬の園(改作)出口の見えないトンネル。本当にその向こうには世界が開けているのだろうか。8年もの。作品に昇格。「冬の花園

ただそれさえも(仮題)恋の底知れぬわな。愛とは自らをあきらめること。

群青の海(改作中)たったひとりで時代に立ち向かうことなどできやしない。でもあきらめてしまったら。10年もの。暫定版完結。

白雪姫(仮題)冷たい宇宙の片隅で。「群青の海」の姉妹編。10年もの。

星星の海の夢 ここから出ていけない。なぜなのだろう。「群青の海」の従姉妹編。10年もの。

骨の笛(仮題)世界は広くて厳しいのに、わたしたちはこれほど頼りないものにすがって生きている。

あなたはひとりで(仮題)あなたを失うとき。自分自身を得るとき。

貴志 目に見えないものに助けられるということはきっとある。

光と風の日々 追憶の中に生きてゆく人、思い出を深く沈める人。12年もの。

北の涯から(アーディス年代記 第三章)(予告篇)日々は過ぎてゆく。人々もまた通りすぎてゆく。わずかなきっかけだったのか、定めだったのか。12年もの。

闇月の風(予告篇)人は誰も旅を続けている。行き着く先も知れない旅を。12年もの。


夜を切り裂く(仮題)

 ただひとりの女だった。

 愛している。たとえどんな打算があろうとも。

 血に染まった紙幣を握り締め、似合わない大きなぼろぼろの傘を振るようにして、何の汚れもない笑顔でセレは駆け寄ってきた。
 雨は大粒になり、桟橋は水面から立ち上る水蒸気に煙っていた。
 伸ばす手の動きはこんなに鈍いのに、なぜセレはよけもしないのだろう。
 気づけばその細い首に手がかかり、ゆっくりと力が加えられた。

 驚き。
 怖れと苦痛。
 壊れた人形のように見開いた目から涙が流れ出した。
 それとも降りしきる雨の粒がつややかな頬にすべったのか。
 激しい痙攣にも似たあがき。そしてどんよりとした濁りが目の中に訪れる。

「ああ」
 自分の口から漏れるのは意味のない言葉だ。

 なぜこんなことに。
 おまえに会うことさえなければ、今もまだ穏やかに、別々に暮らしていたのだろう。


赤子のために(仮題)

 リギンで略奪が始まったって。
 町の北にエフワ族の軍勢が集まっているって言うのよ。

 枕元をせわしく行き来する人々も開け離れた表の扉の前を走り抜ける人も、誰もが口々に不安の言葉を口にしていた。
 生まれて一昼夜とたっていない小さな赤ん坊をかたわらに、これもまた小さな少女がまどろんでいる。
 都城を西北に控える下町にも不穏な雰囲気が広がっていた。

 

 さあ、私を拒みなさい!
 私を否定し、破壊してみなさい!
 あなたは私を壊した。
 私はすでに生ける人間ではない。
 あなたが壊したから。


一億の砂(仮題)

 怪しげな占いのまね事などをして日銭を稼ぐようになってから半年ほどが過ぎていました。
 何度か危ない目には遭っていますが、今のところ命に関るような愚かな振る舞いはせずに済んでいるようです。
 こんな世間知らずにはもったいないほど幸運なことですが。
 家を出たのは確信あってのことです。とは言え、実のところきっかけなど些細なことに過ぎません。
 行き遅れた妹の顔が目障りになってきたらしい長兄と、言い争ってのお決まりの捨てぜりふです。
 急逝した父の後を継いでラダンで一、二を争う商家の切り盛りをする兄には、まだ達者な母からのまとまった資産を受け継ぐはずの私の存在がうっとしく思えることもあるでしょう。
 町の教場に通っていたころ、なまじ学問に秀でていると、何も事情を知らないお気楽な博士に余計な評価をいただいたおかげで、私には嫁のもらい手がありません。それを幸い、兄の手伝いもせず、好きなことをして暮らしていた私も愚かだったのです。
 何度愚痴をこぼされたことでしょう。
 とは言え、ちょっと考えてみれば商家の女主人に少しばかり学問があったところで、差し支えるはずはないのです。
 恐らくは父の死の前から、少しづつ屋台骨が傾きかけているわが家の状態を見て、誰もが二の足を踏んだのでしょう。賭け事好きな次兄が、しょっちゅう町を騒がす高名な暴れ者であることも一因かも知れません。
 もし私の資産を使って商売にてこ入れでもできればまだよかったのかも知れませんが、それは私に子供ができなければ、兄の娘(まだこの世には存在しませんが)が継ぐはずの財産です。親族の代理人が管理していますが、私が生きているかぎり、長兄が手を付けることは許されません。
 そんな訳で、飛びだしてきたわが家にも帰れず、かといって、厳しい世の中にこれ船出しようとするほどの勇気もなくて、砂の海を渡る隊商の出入りする市場の一角の暗くて臭い木賃宿の片隅に寝泊まりしては身の回りのものを切り売りしていました。
 幸い、宿のおかみが、半分つぶれかかったどら声をしきりに張り上げる気持ちのいい人で、私が半分冗談で告げた幸運の方角だの適当な魔除けだのをすっかり気に入ってくれ、とりあえず金が払えるうちは身の置き所だけはなんとかなりそうでした。
 しかしながら、払いが止まれば売り飛ばされないとも限らず、食べるものを削ってでも宿代は払っているのです。人の善意を何の裏付けもなく信じるほどには私も甘くありません。何と言ってもリガル王国にもこす辛さで名高いラダンの商人の出なのですから。
 その用心の代償がこの空腹というわけです。


夜が明けるまで(仮題)

 この長い夜が明けるまで、どうやって耐えていけるだろう。

 今、誰かに手を差し伸べられたら、きちんと考えることもできないままその手をとってしまいそうで、私は怖いのです。
 確かに今の私には誰かの助けが必要なのですが、できれば、それが依存というかたちでなく、きちんと割り切れる関係の中に行われる行為であって欲しい。
 人の好意を都合よく利用するのではなく。

 誰かにすべてを打ち明け、ぶちまけてしまえれば、少しは楽になるのでしょうが、それはもう、できないでしょう。
 あなたにさえ、打ち明けられない思いなのに。
 たとえこの気持ちが通じても、すべてを伝えることなどできるはずもありません。

 他者の存在に初めて自らが揺らぐ。
 両親やきょうだいや、友人ではなく、ただの他人によって。
 自分がどれほど傲慢であったかをこんなかたちで悟らされるとは。

 だから。


砂のしとね 星の天幕(仮題)

 錆びた金だらいの縁ぎりぎりまで、白っぽく濁った水を満たして、風をよけるために斜めに一列に並んだ荷馬車のかげを縫うように運んでいたのは、暇を持て余しているがらの悪い用心棒やおせっかいな隊商の商人にちょっかいを出されないようにと経験的に身に付けた星の工夫だった。

 

「星はなあ」
誰もが笑いをこらえきらない様子で説明しようとした。
「この年で、女から逃げてきたんだぜ」
「ちがうよ」
 取り合うほうが面倒だとわかっていても、星はついついその言葉に反応してしまう。

 

 砂漠にずっと旅していれば、季節のめぐることなど、忘れてしまいそうになる。
 ただ、季節の変わり目に立つ大きな市をねらうように隊商が立ち寄る町では、たいてい時期を同じくして大祭が行われているから、数々の祭礼で区切りがついた生活をしているということは、隊商の成員なら皆同じだっただろう。

 星が初めてこの隊商に潜り込んで旅を始めるようになったのは、少なくとも一年以上前のことだ。
 曠野の強烈な陽光にさらされて、深い琥珀色に灼けた肌はそれでもつやのある輝きを帯び、黒曜石の煌めきを時たまのぞかせる瞳は丸く大きい。

 


滅びの歌が聞こえる

 私は医者ではないけれど、お産を仕切ることもできる助産技師の資格があり、訓練を受けて、応急処置、救命処置をする資格を持っている。
 この移民星はまだまだ貧しくて、私のような簡易医師とも言うべき医療技師によってほとんどの医療行為を行っている。本物の医師は、首都のたったひとつの医大から惑星上に散らばる開拓地に毎年送り出されるほんの数十人だけだ。

 七度目の流産はまだ春が春らしくなる前のことだった。
 まだ若い妊婦は、もう涙も枯れ果てた様子で、放心して横たわっていた。
 もう、だめかもしれない。


恋文(仮題)

 この行き場のない思いを、伝えることのできない思いを、どうしたらいいというのだ。
 わたしはここにいる。
 確かにあなたのすぐそばではないけれど、決して遠すぎる距離を離れているわけではないのに。
 にこやかにわたしと言葉を交わしているときでさえ、わたしはあなたの目の前にはいないのか。
 なぜ。どうして。

 あなたにこの気持ちを告げることがどうしてもできない。
 わたしのことを好きでも、そうでなくても、あなたはわたしを拒絶するだろう、その確信があまりに強くて。まだ決心がつかない。

 だんだんあなたが遠くなる。
 あの空の下、あなたが毎日を変わらず過ごしていると知っていても、なお胸が痛む。

 わたしの気持ちを知っているの?
 告げられないことをこれ幸いだと思っているの?
 わたしから身を遠ざけることがそれほど大事?
 あなたのそばにはいられないの?
 あなたの心を惑わし、さわがすから?
 それではあなたのそばには、誰もいられないのね。
 そんな悲しいことが。
 だから、あなたのそばに誰かがいて、あなたを支えているのだと知るその日まで、わたしはあなたを思っていよう。誰よりも大事に思っていよう。


天宮の音律

 いくつもの未来がある。
 時間の流れは一定ではない。色々な方向や速度がある。
 どれが現実なのか、どうしてわかる?
 どれも私にとっては同じ重みを持つ現実だ。
 無限に伸びるいくつもの可能性。どうやってそのすべてを辿れるだろうか。
 自分がいくつものかけらに粉々に砕かれてすべての次元のすべての自分にばらまかれる。

 目の前の青年は、長い伝統と信仰に生きるこの王国で、やがては神の威信と恩寵をその身体を通して表わす神の眷族の子である。
 テラスに出る。小高い丘の上に立つダイラ宮からは、遥かに薄い群青に光るススティア湾が望める。
 ここはまるで牢獄だな。
 宮殿の一番奥の高み、どこからも隔絶され、世界のどこともかかわりを持たない秘密の場所。
 何一つ不自由はなく、望んで叶えられぬものはなく、それでも彼は囚人なのだ。
「ここで代々の皇帝は思索に耽っていたわけか」
 彼は振り向き、かすかに笑顔を見せた。
「あまりに悩みが多くて、また夢とうつつの区別がつけられないために、多くのご先祖がこのテラスの端から足を滑らせたものさ」
「ときには誰かの手があったこともあったろう」
「そうだな」
 青年の言葉にうなづきながら、その淡々とした話ぶりに、一瞬肝を冷やした。
 それは、単に過去の事実だけではなく、自分の未来のことをかたっているのかも知れない言葉だった。

「多くの事実が見えるんだ。このあたりに」
 彼は細いしなやかな手を頭の回りにかざしてみせる。
「いくつも目があるような感じだ」
「辛いよ。一度にいくつもの出来事がまわり中で起こっている。どれとしてはっきり見えるものはない。ひとつのものに集中しようとするが、それも難しい。いったい何が現実で、何がそうでないのか、わからないのは辛いよ。
 僕はまだいい。父帝など、僕の歳にはすでに廃人同様だった。僕は普通の生活をしていた時間がほかの者に較べれば長いからね。どれが現実、あるいは未来で、どれがそうでないかを判断する基準が僕にはいくらか多いということだ。昨日食べた果物がひとつだったか二つだったかと言うような些細な違いでなければ、どんなに紛らわしい夢でもなんとかなる。でも、もし現実の方が変わったら?」
 パルシャは口をつぐむ。
 そう遠くない未来に僕は気が触れているよ。
「今、僕がいるはずのこの現実に、僕が生きる糧を得たはずの過去が信じられなくなったら、僕の大地は崩れてしまう。すべてが粉々になって、流れていってしまう」
「今はまだ宰相やほかの大臣どものおもちゃになっていても平気だ。僕は唯一不可侵のルアーン帝国の皇帝だからね」
「それでもそうしていられるのはそう長いことじゃない。そのうちに誰が本当の今の臣下で、どのものに何を言えば従ってくれるのかがわからなくなってしまうに違いない」
「こわいよ。こわいんだ、ライド」
「僕はすでに時間の感覚を失いつつある」
「今僕はここにいて君と話しているが、同時に君の未来や君の過去とも話しているんだ」
「僕は夢見をして、予知やら過去読みをしているだけなのか、それとも時間の流れの端まで行き着いて、後ろを振り返っているだけなのか?」
「それとも君はまだ僕の前には現われていないままの世界で、僕が君の存在する世界を選択している最中なのか?」
「誰がこの問に答えてくれるのか?」
「誰か僕を解放してくれるのか?」
 そんな話をしてくれる間にも、彼は突然口をつぐんで、比喩ではなくどこかほかの世界に実際に行ってしまったようになったり、ここにいない誰かに向かって私にはわからない言葉で話しかけたり、前にも聞いたことを身振りや表情までまったく同じように二度繰り返したり、焦点の合わないのを無理に合わせようとしているように私の顔を見つめたりしていた。
 なるほど、彼は現実を見失い、心細くあるのかも知れないが、本当の世界に確かに生きているはずの自分はどうだ?彼のように自分のいるのがどこなのかなどと考えたこともなく、その確かさを疑ったこともない。
 それでも私たちは生きているのだ。
 この虚構と悪徳の渦巻く、輝かしい生気にあふれる世界に。


朱の末裔(仮題)

 朱の一族に生まれつく。簡単に言葉にできるようなことではない。
 闇を統べる一党の頭として、地の精霊を操り、風の歌をかたちあるまことに変えるのだ。
 技較べによって、一族を率いる若長が決められるのは、月のない夜のこと。
 見守るのは、一族の死者の霊のみ。

 お前を守るのはお前を生んだ二親、その親、その親、遡るかぎり続く先祖たちだ。
 若い衆には憶病者と謗られるぐらいでいい。
 長自ら先頭を突っ走ったらどうなる?


荒野(仮題)

 どこまでも続く、果てのない草波のなかを彼女は走っていく。
 一瞬立ち止り、振り返るような素振りを見せるが、それは一瞬走る速さを変えて身体を捩じっただけで、決して身体ごと向き直って、顔を見せることはない。
 彼女は、それきり休むことなく力強く走り続け、去っていった。

  思い出はあまりに遠いが、決してなくなったり忘れ去られたりすることはない。
 あれほど豊かな愛の中に生きて、暑苦しいほどの好意の中で過ごして、そしてそこを離れたのだ。
 生きて行くために。
 自分の足で歩むために。


冬の園(改作)  作品「冬の花園

 高校に入ってからこっち、私の人生はザセツで一杯だ。
 先生に言われたように、共学に行けばよかった。あの人が言ったことで唯一の真実だったのに。
 臆病者が、女子高なんぞ受けたのが運の尽き。
 同い年の男なんて……
 年上の男を知っているわけではないけれど、そう思ってしまう。
 少なくとも高三まではよくそう思った。
 身体が大きくて、顔やら声やらが大きくて、不器用で、汗臭くて、鈍重というイメージ。
 でも彼らは大きいけれど身軽だ。
 予備校の休み時間に、教室や廊下で取っ組み合いの真似事をしているのとか、あちこちを軽やかに走っているのを見るとそう思う。
 自分は、背中に、二の腕にべたっとはりつくような肉を感じ、身体が重くてたまらない。
 病気だという人もあるが、ダイエットしたい。
 どうして前みたいに階段を駆け上がれないんだろう。紺の制服で、分裂しそうな自分を隠している。


ただそれさえも(仮題)

「人を好きになるのがこわいの」
 彼女は細い肩を自分で抱いて身を震わせた。
「そのたびに自分を見失ってしまうから」
 四年ほど前まで付き合っていた女性の親友だ。
「前の人のときもそうだったの」
 別れてからも、どう言うわけか彼女とは友達付き合いが続いている。と言うより、彼女がいたから、その元恋人とも良好な友人関係でいられるのだ。
「何も見えなくなってしまって……彼のところに何度も電話した。勤め先にも。最後には居留守を使われたわ。ストーカー一歩手前まで行くのよ」
 彼女は常に冷静なタイプで、いつもまわりの相談に乗る側だ。
 少なくともわたしにはそう見えていた。


群青の海(改作)本編

「り、臨時ニュースを申し上げます」
 その言葉の内容というより、妙に上ずった声に引かれて、私はそれまでついているのにも気づかなかったテレビを見上げた。
 昼食の人出も峠を越えた、昼下がりの日当りのいい学食は、ぼちぼちあちこちに空席も目立ち始め、午後の授業のない私はのんびりA定食の残りを口に運んでいた。
 消し忘れたらしい前のニュースのテロップの『サリト特別州の知事選公示』の間の抜けた文字は、顔を引きつらせたキャスターがその臨時ニュースを読み上げる間もしばらくついたままだった。
「ただいま入りました情報によりますと、現在、衛星軌道上に、所属不明の多数の船艇があり、その数はおよそ百にのぼるということです」
「奴ら、きやがったな!」
 背後で悲鳴のような声を上げて椅子を蹴った学生がいる。
「聞こえないぞ! 黙れ!」
 テレビの前に走り出す若者がいる。
 いきなり泣き出した女子学生がいる。
「繰り返します。現在、衛星軌道上に所属不明の多数の船艇があり、その数はおよそ百にのぼります」
 何度も上ずった声が繰り返す間に、ボリュームが上げられた。
「衛星軌道上に、所属登録の確認できない多数の艦艇があり、航空管制の指示に従わずに航行しています」
「なに? なんなの?!」
「市民の皆さんは落ち着いて行動してください。当局の指示にしたがってください。情報ターミナル、ラジオ、テレビの電源を入れてください。ターミナル、ラジオ、テレビの情報をよく聞き、落ち着いて行動してください」
 非常事態用のアナウンスだけは、丸暗記したように流暢に聞こえる。
「衛星軌道上の所属不明の艦隊は、その一部が大気圏内に降下を始めた模様です。衛星軌道上に現われた艦艇の数はさらに増加し、降下を始めた一部のものを除いてもその数はおよそ三百にのぼっています」
 かすれた声が、臨時ニュースを読み上げ続ける。
 それを背後に聞きながら、私は食堂から飛び出していた。空は抜けるように青く、ところどころに薄い色をした雲が浮かんでいるだけだった。
(間違いない。三百も船を持っているのは地球だけだ。連邦だけだ)
 何も見えるわけはないのは理屈ではわかっていても、同じように空をあおぐものはほかにもたくさんいた。急に轟音とともに大きな影が空を横切った。ぎょっとして目のはしで、さっと地を駆け抜ける影を追いかけると、見慣れたシャトルの定期便だった。アナシアにはなナイザーン有数の宇宙港があるのだ。
 そう、宇宙港があるのだ。
 膝から力が抜けそうだった。
 謎の艦隊が、たとえ地球のものであろうとなかろうと、目指すものは一緒ではないのか? 宇宙港のほかに、この田舎の惑星に破壊したくなるものがあるとは思えなかった。
 がしゃんという大きな音に振り返ると、その途端、耳をつんざく非常ベルが建物の内外に響きわたった。椅子を持った学生が、学食の入り口の近くにある火災報知器に殴りかかっていた。
 地球生まれの私にはナイザーン人の絶望は共有できなかったが、感じた怒りは同じだった。
「くそっ! 連邦め! やるに事欠いてナイザーンに手を出すなんて、どういうことだ」
 私は夢の中のようだと思いながらも、気づけば走り出していた。


白雪姫(仮題)

 いつの夜か、眩しいサーチライトの激しく舞う、闇の中に追い詰められて、そこで私の人生は終わるのだと、私は長いこと信じていた。
 夜ごと、私は目を覚ます。
 その様子はうなされているというより、窒息しているようだったと、不安気にある人は言った。
 その人を部屋に入れたことはそれきりない。
 決して深く詮索しないいい人だったけれど、一緒にはいられなかった。
 一人きりでこの町に住むようになってからもう二年になる。町と呼ぶには価いしないようなひどい場所だが、私にはほかに帰る場所があるわけではない。どこかで待つ家族がいるわけでもない。
 私は名を偽って暮らしている。カイリのような場末の工業コロニー都市でも、簡単にできることではない。細々ながらも、支援してくれる地下組織があってこそのことだ。
 私を支援してくれる末端組織の構成員は、コロニー都市の住民のほとんどを占める工場の技術系労働者ばかりではなく、研究所の所員だったり、港湾局のお役人だったりするが、彼らのうち誰一人として私が追われている本当の理由を知る者はないだろう。
 組織にしてみれば、その日常の活動に協力するわけでもない厄介者をその内に抱えていることを苦々しく思っているだろう。
 事実私は厄介者で邪魔者。私を匿い続ける価値はどこにもない。
 いつか私が見捨てられる日がかならず来る。
 その日が来るのがわかっていても、私にはどこかに逃げ出すことなどできない。そんな手段も力もない。
 いつかこの一生を終えるまでの間、ここの消毒された精製大気を呼吸し、味気ない合成食料を口にし、地球の大地とは縁遠いこの人工の土地で私は暮らしていくしかないのだ。
 なぜこんなことになったのだろう。
 なぜこんなことになったのだろう。


星星の海の夢

 夕暮れ、年老いた太陽が沈む海はすでに闇の色をたたえている。
 アナシアの西の護岸には、朽ちた背の高いクレーンの残骸が、太古の海を泳いだ首長竜のように立ち尽くしていた。
 かつてこの人工の島が、植民惑星の活気に満ちあふれていたころ、西のドックや工場群では開発のための資材や機械が作られ、たくさんの貨物船が港を出入りしていたのだ。
 時間のない、黄昏。
 そよとも揺れない大気。
 エレベーターも止った古いビル。

 植木。観葉植物。羊歯。仙人掌。
 汚れた衣服が廊下に居間に散らばっている。拾い上げて浴室に放り込む。
 大きな窓。海に向かって開かれた空間。
 窓辺に置かれた無骨な鉄製の灰皿。
 煙草は有害な麻薬。幻覚剤のように取り締まりこそされないが、違法な嗜好物であるのは本当だ。あまりおおっぴらに人前では吸えない。
 気がつけば、キースはいつもここに立ち、飽きることもなく海を眺めていた。
 ほんの百年前まで人類が知らなかった海を。


骨の笛(仮題)

 ルゼがサーナインの神殿に一夜の宿りを得たころ、豪勢な嫁入り行列がサーナインの宿に入った。
 婚礼を控えているというのに、花嫁が夢見が悪く、体調を崩したというのでお呼びがかかった。

「こちらの方は高名な治療師でおられると漏れ聞いております。どうぞ、私どもの隊商のおります宿にお越しくださいませ。そして、リーシュ・ソロル・ナナ・アルカ様の治療をお願いしたいのでございます」
 アルカのソロルといえば、名の知れた商家だ。花の都ディリカシの貴族の懐と呼ばれているのはアルカの商人達である。
「治療と言いますと」
 ルゼは静かな口調で訊ねた。
 この手の急な依頼を一々受ける気はルゼにはない。

 

「気が重いのです。分かってはいることなのですが、女の方の妻になるというのは、あまり愉快なことではありません」
 この少女のどこが子供だというのだ。
 ルゼは内心に怒りを隠しながら、訊ねた。
「このハラル婚をあなたは承知されたのですか」
 リーシュはそれを聞いて、急に頤を上げ、ルゼを見下すような目付きになった。
 恐らく覚えたばかりのしぐさなのだろう。
「承知するも何も。わたくしが選んだのです。父はいくつか嫁ぎ先を探してくれましたが、わたくしが身近なものを連れていける先は余りなかったのでね」
「格で選ばれたのですか」
「それは関係ありません」
 一瞬の後、リーシュは視線を反らせた。
「アザ・タース殿は立派な継承宣言者です。リリステテの王立学院で学んだ優れた学者でもあるそうです」


あなたはひとりで(仮題)

 カリはわたしの目を見ようとはしなかった。
 顔は正面を向いて、わたしに向き合っているのに、視線はわずかに定まらず、これまでなら何の抵抗もなく見つめあうことができたのに、カリの深い闇色の瞳をのぞき込むことができない。
 わたしはこの人を失ったのだろうか。


貴志

「馬鹿だなあ、姉さん」
 貴志の優しい声が耳に響く。いつものお決まりのせりふだ。
 そして私は泣きそうになる。
 貴志はもう、いない。

 

 喪失感。
 少しずつ大人の言葉を学ぶようになって、私はその気持ちに名前をつけた。
 いつからとも言えない。
 気づいたときには、私はそれと親しかったから。
 ふと何かに気づいて振り返る。
 誰もいないのに。
 何か優しい気配のようなものをかすかに感じるだけ。
 あまりにもかすかで、そしてときどきだったから、私はいつしかそれを忘れていた。


光と風の日々

 まだ夜が明けて間もなかった。
 二つの高い岬に囲まれた砂浜から望む海は、昨夜の大荒れの痕跡をわずかに残して波が高い。
 まさに嵐のあとである。
 浜には荒れた海が残していったものが数限りなく打ち上げられて、白い砂の上に幾重にも模様を描いていた。
 目を凝らすと、浜の反対側の端、村から浜に降りる小道に近いあたりには、波が運んできた落し物を拾いに来たらしい人影がいくつも見えた。
「朝早くからご苦労なことだな」
 男は微笑を浮かべてつぶやく。
 自分もまた、夜が明けるのさえ待ち切れないように、浜からわずかに崖を上ったところにある小さな小屋から降りてきたのだが。
 嵐はよく恵みをもたらす。
 沖の島影の向こうは交易船の航路になっている。島を巡る潮の流れのために、この浜では交易船の落し物がよく拾えるのだ。
 船に積まれていたものばかりではなく、船そのものや水死者が流れつくことも時々あった。
 ともあれ、目ざとい村人がそれを見逃すわけはない。
 男は村の連中が好きだった。
 荒い海にもまれた無口な男にも女にも、激烈な気性のものが多く、この男のようなよそものには決して簡単には心を許さない。しかし一度親しくなり、その信頼を得ると、息苦しくさえなるほどの好意を示してくれる。
 おそらく今夜あたりには、村人が男の小屋を訪れ、浜で拾ったものの中から、何がしかを分けてくれるに違いない。男は他愛ない贈り物の返礼として秘蔵の酒を振る舞わされ、そして執拗な願いに負けて、効くはずのない惚れ薬か何かを処方する羽目になるのである。
 よそ者の男にそうして気安く村人が接してくれるのは、村はずれの堀立て小屋にすみついた男が、若くて頼り甲斐があるからだけではもちろんなく、こんな田舎では得ることも難しい、優れた治療者であるからだった。
 男は海草の固まって打ち上げられているあたりを杖代わりの長い枝ででつつきながらひっくり返していた。
 高価な薬になる珍しい海草が、嵐のあとには打ち上げられることがあるのだ。
 男の足元には、難破船の破片らしい流木のようなものがいくつも連なって重なっていた。
 ふと男は何か黒いものが視界の端をかすめたせいで振り向いた。
 探していた海草が深い海の底に育つ闇のような黒色をしているからかもしれなかったが、一瞬の後にはそんなことは頭から消えていた。
 砂浜に打ち上げられた流木の陰に、一人の黒髪の男の体が横たわっていたのだ。


北の涯から(アーディス年代記 第三章)(予告篇)

 惨めな敗戦であった。
 しとしとと降り続ける雨に、灰色の古い城壁は濡れそぼっていた。
 地平の果て、北に深い森の途切れるあたりから、長く蛇のように帰還者の列が連なる。
 アナテイアの城壁に立ってそれを迎えるものには声もない。暗い城内のどこかから、低いすすり泣きの声が響いている。
 絶えることなく落ち続ける雨が、重く沈んだ人々の気分を更に暗くしていた。
(まだかしら……)
 城の当主アーフェン伯爵の一人娘であるマルディラは、二つになる長男のマークの小さな手をしっかり握り、城壁の上に張り出した狭い露台の上で、帰還者を出迎える人々の群の中に立っていた。まだ誕生日を迎えていない二人目の息子のアルカキスは、雨の当たらない壁際で、目を真っ赤に腫らした侍女のシャイアの腕に抱かれている。
 〈湖の国〉ヴァリアナ一の城、アナテイア城の古いしきたりに従って、城の者は総出で正装に身を包んでいる。生まれて半年にしかならない赤ん坊も例外ではなかった。
 マルディラは子供を二人産んで少し太って、少女のころの伸び行く若木のようなしなやかさこそいくらか失われたが、それでも跳ねるような足どりは変わっていない。
 城主の一人娘であり、このアナテイア城の女主人であるマルディラが城内で見かけないような者も、この出迎えには加わっている。
(これが凱旋の迎えでさえあれば)
 マルディラは唇を噛みしめる。
 遠くエルファラソンの谷から、騎馬の者、徒歩の者が入り交じってとぼとぼと街道を進んでくる姿は、ともすれば降りしきる雨の中に消えてしまいそうだった。

 

 取りあえず連載(群青の海)が片付いてから、と言い訳しながら書かないこと一年以上。それはまずすぎるよね。


闇月の風(予告篇)

 ほとんど書きあがっているのだが、どうもすっきりしない。


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