天幕の入口/聖地巡礼記/本棚/風紋/夜の扉/焚火の前/掲示板/宿帳/天文台/砂のしとね/月の裏側/総検索

群青の海 暫定版 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 一括ダウンロード

 この物語は現在NiftyServeのFSF1 「創作の部屋」に連載したものですが、すでに前半はサイクリックのかなたにあり、読んでいただくことができません。最終的には完結した段階でライブラリにアップロードすることになりますが、まだ目処は立っていません。最初の発表時のものに手を加えてはありますが、これは改作前の原稿ですので、あらかじめご了承下さい。


1、はじまり

 

「り、臨時ニュースを申し上げます」
 その言葉の内容というより、妙に上ずった声に引かれて、私はそれまでついているのにも気づかなかったテレビを見上げた。
 昼食の人出も峠を越えた、昼下がりの日当りのいい学食は、ぼちぼちあちこちに空席も目立ち始め、午後の授業のない私はのんびりA定食の残りを口に運んでいた。
 消し忘れたらしい前のニュースのテロップの『サリト特別州の知事選公示』の間の抜けた文字は、顔を引きつらせたキャスターがその臨時ニュースを読み上げる間もしばらくついたままだった。
「ただいま入りました情報によりますと、現在、衛星軌道上に、所属不明の多数の船艇があり、その数はおよそ百にのぼるということです」
「奴ら、きやがったな!」
 背後で悲鳴のような声を上げて椅子を蹴った学生がいる。
「聞こえないぞ! 黙れ!」
 テレビの前に走り出す若者がいる。
 いきなり泣き出した女子学生がいる。
「繰り返します。現在、衛星軌道上に所属不明の多数の船艇があり、その数はおよそ百にのぼります」
 何度も上ずった声が繰り返す間に、ボリュームが上げられた。
「衛星軌道上に、所属登録の確認できない多数の艦艇があり、航空管制の指示に従わずに航行しています」
「なに? なんなの?!」
「市民の皆さんは落ち着いて行動してください。当局の指示にしたがってください。ラジオ、テレビの電源を入れてください。ラジオ、テレビの情報をよく聞き、落ち着いて行動してください」
 非常事態用のアナウンスだけは、丸暗記したように流暢に聞こえる。
「衛星軌道上の所属不明の艦隊は、その一部が大気圏内に降下を始めた模様です。衛星軌道上に現われた艦艇の数はさらに増加し、降下を始めた一部のものを除いてもその数はおよそ三百にのぼっています」
 かすれた声が、臨時ニュースを読み上げ続ける。
 それを背後に聞きながら、私は食堂から飛び出していた。空は抜けるように青く、ところどころに薄い色をした雲が浮かんでいるだけだった。
(間違いない。三百も船を持っているのは地球だけだ。連邦だけだ)
 何も見えるわけはないのは理屈ではわかっていても、同じように空をあおぐものはほかにもたくさんいた。急に轟音とともに大きな影が空を横切った。ぎょっとして目のはしで、さっと地を駆け抜ける影を追いかけると、見慣れたシャトルの定期便だった。アナテイアにはイザーン有数の宇宙港があるのだ。
 そう、宇宙港があるのだ。
 膝から力が抜けそうだった。
 謎の艦隊が、たとえ地球のものであろうとなかろうと、目指すものは一緒ではないのか? 宇宙港のほかに、この田舎の惑星に破壊したくなるものがあるとは思えなかった。
 がしゃんという大きな音に振り返ると、その途端、耳をつんざく非常ベルが建物の内外に響きわたった。椅子を持った学生が、学食の入り口の近くにある火災報知器に殴りかかっていた。
 地球生まれの私にはイザーン人の絶望は共有できなかったが、感じた怒りは同じだった。
「くそっ! 連邦め! やるに事欠いてナイザーンに手を出すなんて、どういうことだ」私は夢の中のようだと思いながらも、気づけば走り出していた。

 

 今から思うと、あの頃の私はなんて無知だったのだろう。
 その頃の私は、単なる学部生のくせに、すでに象牙の塔の住人でもあるかのように、外の世界、現実の世の中には背を向けていた。いや、正確にはそのつもりだった。
 実際には、そんなに研究に打ち込んでいたわけでも真面目に勉強していたわけでもない。
 ただ、見たくないものには目を向けていなかっただけのことだ。
 ルームメイトのクラウディアはよく言った。
 いいこと、エリカ・カーン。
 いくらあなたに政治に対する興味がないにしたってね、自分の足の下にある惑星が何であるかぐらいは考えなさいよ。
 何でナイザーンに留学しに来たのよ。
 惑星独立運動に興味があったからではないことは確かだ。
 もしそんなことが理由なら、運動の推進リーダーたる「ケネロス」や「タルディス」に行っている。月面都市アレクサンドリアの文理高校の同級生で、地球圏外の大学に進学した人間は、八割方このどちらかに行った。そしてその半分は独立運動の活動家になったにちがいない。
 月は最古の地球外植民地である。高校生の頃からその雰囲気がいやでいやで仕方がなかった。私は運動に反対なわけではなかったけれど、どこに行っても地球生まれだという負い目がついて回ったし、うかつに運動に参加しようものなら、連邦の高官(それも軍人!)である父や、連邦軍の士官候補生である姉の存在がごたごたを引き起こしただろう。
 もっぱら独立支援派とみられている著名なジャーナリストの母の名の庇護の元で、私は燃える高校時代を乗り切ったのだ。同級生の半分近くは月の連邦職員の子弟だったから、家廷内独立戦争の嵐がどこの家でも吹き荒れていた。連邦を支える家族の元を去って活動家になった友人も多い。

 私は離婚した母に連れられて、六才のときに地球を離れ、月で成人するまでを過ごした。
 母は自宅に一月以上続けてとどまったことはなかった。連邦からは要注意人物のレッテルを張られながらも、母は休む暇なく地球圏や植民星を駆け回り、数々のレポートを全世界に送り続けていた。月に移住したのは、地球では連邦からも、そのほかの多種多様な団体からも、さまざまに干渉を受けて暮らしづらくなったのと、外惑星定期便のある宇宙港の近くに住まいを構えられるからであった。
 そんな母を人間としては立派だと思う。その気持ちはずっと変わったことはない。しかし、母親としては、まるきり反対の気持ちがある。
 私は高校に入学するまでは、月の半分を子供だけが暮らす施設で過ごし、自宅に帰るのは時々だった。忙しい母の生活と同じである。高校では寄宿に入り、自宅には休みのときしか戻らなかった。母もすぐに同じようにするようになった。
 そのころには、母に対する愛情は、見知らぬ土地、月に私を一人にしたこと、ことに父や二人の姉から引き離したことで目減りして、ほとんど形をなしていなかった。
 高校を卒業するのを目の前にすると、私は母に独立を宣言し、連邦の委任統治領である惑星ナイザーンのアナシア総合大学に留学するといった。そこに師事したい教授がいるので、ほかの場所は考えられないと。
 ずいぶん前から長い時間をかけて準備した一幕だったが、思うようには行かなかった。
 地球でかなり規模の大きい武力衝突が起きたというニュースが飛び込んできて母が月を離れたのはその二時間後だった。
 宇宙港のVIPロビーから母は電話をかけてきて、二十分ばかり話した。私にとれそうな奨学金では、地球に一番近いナイザーン以外の惑星には行けそうにないことも正直に話した。
 それは母には少々ショックだったに違いない。母はわざわざどこからでも私の成績データを取り出せるようにデータバンクと高い契約料を払ってサービス契約を結んでいたが、データの取り出しなんてしているはずがないことを私は知っていた。そんな暇があったら電話でも手紙でもよこせばいいのだから。
 お金の問題ではないのよ。前に星間ジャーナリスト賞とか、エデルネ文化基金賞とかをもらったときの賞金が手つかずで残ってるわ。あれはおまえのためにとっておいたものだから、お金がないわけじゃないのよ。
「わかってる。わかってるわ、母さん。でもね、私が母さんと離れて暮らしていた間、私がどんなことを考えていたか、母さん知らないでしょう。私は母さんから離れてひとりで生きていくための準備をしていたの。オリガ・カーンの娘じゃなくて、私自身として」

 所得のない学生に義務づけられている保護者の同意書を添えて、入学手続を終え、月を離れる定期便の予約がとれるのを待って過ごしていたある日、上の姉のマーシアから電話があった。宇宙軍の士官学校の卒業演習で月に来ているというのだ。母は小惑星群の工業コロニーに取材に出かけていた。
 姉と別れたのが六歳のとき、もう十二年会っていない。最後に写真をもらったのが、二年前ぐらいだっただろうか。
 宇宙港近くのホテルのロビーで待ち合わせた。隙のない服装の背の高い女性が一人、入り口のすぐ脇に立っていた。淡いグレイのパンツスーツがよく似合う。
「エリカ」
 顔を見ただけではわからなかった。姉の方ははすぐに私がわかったらしい。 私の腕をつかむと、すぐに「外へ出ましょう」と言った。
 無人タクシーに乗るとすぐに、
「ごめんなさい、会ったばかりだというのに。つけられてるのよ」
 驚いて姉の顔を見上げる。二年前の写真より頬がこけて、大人っぽいが、目の下は隈になっている。
「つけられてるって……誰に」
 姉はそれには直接答えず、ぼそっと言った。
「こんなご時勢でしょ。うるさいやからが多いのよ。今度の作戦もうさん臭いものだから……」
と言葉を濁した。 姉は外惑星探査の仕事がしたいと士官学校を志願したと聞いた。定期航路外の外惑星船に乗れるのは軍人だけだからだろう。
「大きい交通ターミナルは?」
「市庁舎前にあるけど」
「じゃ、そこで車を替えよう」
 わけのわからないまま二度ほど車を乗り替え、郊外に向かう高速道路に乗った。
「高校、卒業したんでしょう」
 姉の口調は沈んでいてお祝いを言ってくれるつもりではないようだった。
「おかげさまで。たぶん一週間ぐらいしたら定期便の予約がとれるので、ナイザーンに発つの」
 なぜかそれを聞いて、姉は安心したようだった。
「ナイザーン? どうして?」
「有名な先生がいてね、リーカ・オルセンっていう……」
「あのノンポリのへぼ学者ね」
 ちょっとむっとしたけれど、反論はしなかった。十二年振りに会う姉と、そんなことで言い争っても仕方ない。幼いころ、いつも姉は大人だと思っていた。マーシアはすべて正しいのだと思っていた。もしかしたらまだそうなのかもしれない。
「どうせ行くなら八光年も八十光年も同じよ。もっと遠くに行けばいいのに」「お金も割り当て距離も足りないわ」
 移民にしろ、旅行にしろ、一般市民には年齢や職業その他で移動距離の割当があるのだ。私はすでに地球から月へ移動しているから、月生まれの同級生のほとんどよりはよりは残りが少なかった。母のような人は例外中の例外と言えるが、それでもいつも移動の認可を取付けるのに苦労している。
「少し貯金があるの。父さんと母さんで子供の学資基金を作ってたの知ってるでしょ。月給の出る学生だからね、私の取り分はずいぶん余ったのよ。あんたに使ってほしいの」
「そんな……もらえないよ。シーリア姉さんだって」
「シーリアも連邦の理工大学に行ったから、ほとんど学資はかかってないの。心配しなくていいわ」
「まあ、そうしろって言ってるわけじゃないの。いざというときに不自由がないようにってことよ。お金のせいであきらめるなんて馬鹿らしいからね」
「別にイザーン以外のところに行くつもりはないわよ」
「それは構わないわよ。どっちにしろ、月を……というか、地球圏を出ることになってるのは良かったわ」
 私はまじまじと姉の顔を見つめた。なぜだか何かがこわかった。
「なるべく遠くのほうがいいわ」
「どうして」
 どう聞いたらいいのかわからぬまま口にする。
「何かあるの? 何を知ってるの?」
「教えて」
「確かなことじゃないし、それにやっぱりあんたには何も言えないわ。あんたも母さんの娘だからね」
「それはあれ、私が母さんに簡単に何でももらすと思ってるってこと?」
「そうじゃない、そうじゃないわ」
 マーシアはひきつったほほえみを浮かべたまま首を振る。
「知らないほうが安全なこともたくさんあるのよ。あんたにもすぐわかることだろうけど」
「アンナ伯母さんがタルディスに移民したの知ってる?」
 私は首を振った。アンナ伯母は父の姉である。
「いざっていうときは頼りなさい。かなり田舎の辺境地だけどね。連絡先を書いておくから。あと、エリカの個人口座の番号も教えて。例のお金は振り込んでおく。少しでも早いほうがいいの」
 タクシー代をもとうとアカウントカードを支払用の精算スリットに差し込もうとした私の手をマーシアはつかんだ。
「だめ。アカウントで足がついちゃうから。ここは私が払うからいいわ」
「どうして」
「用心にこしたことはないわ」
 ため息一つ。
「あんた、母さんと暮らしていたくせに、何にも知らないのね」
 マーシアの声はあきれたようでいて、なにかうらやましげな響きがあったと思う。確かではないけれど。
「あんたをごたごたに巻き込みたくないのよ」
「姉さん、何かに巻き込まれてるの」
「今どきそうでない人なんかいるの?」
「できれば母さんにも会いたかったけれど、母さんが家にいる間は監視がぴったり張り付いて隙がないからね、仕方なかったのよ」
「監視……?」
 私は小さくつぶやいた。
 そのときまで心当たりがあったわけではなかったがこれを聞いても、否定できない気持ちがあった。
 もしかしたら、近所に住んでいるわけでもないのに、いつも家の近くにいる人がいたかもしれない。
 定職も近所付き合いもなく、いつも家に籠っている変人が隣にいたかもしれない。
 どこかに出かけるたび、いつも一人ではないような妙な感じがしていたかもしれない。
 母には、気づかれないように背後をうかがう癖がなかったか? 留守にした後、物の置き場所を確かめる様子がなかったか?
 私は知っていて、気づかない振りをしていたのだ。
「母さんをよろしくね」
 振り切るように背を向けたその姿が、私がマーシアを見た最後だった。

 

 私は予定どおり月を発ち、ナイザーンに向かった。ナイザーンまでは公称距離で66光年、現在の跳躍技術では4か月の旅で済む。
 マーシアの部隊を含む宇宙軍の急進派が月面で蜂起し、宇宙港などの施設を占拠した報を聞いたのは、私がナイザーンに着く二週間前のことだった。月面叛乱は、二十四日目に鎮圧された。
 マーシアの生死を聞いたことはない。それきり地球圏との個人での情報のやり取りはできなくなった。
 「戦争」が始まったのだ。そのときにはまるで実感はなかったのだが。

 

(続く)

 


天幕の入口/聖地巡礼記/本棚/風紋/夜の扉/焚火の前/掲示板/宿帳/天文台/砂のしとね/月の裏側/総検索

inserted by FC2 system